2021年4月14日水曜日

レシピ

 この手のセッティングに動画、など以前は考えたこともなかった。分かりやすい、と言えばその通りなのだが。

大学では映像系の教育セクションにいるのだが、数年前にいわゆる「レシピサイト」から求人があった。その頃は、料理もインターネットの動画配信サイトで見られるようになったんだなあ、などと思っていた。先日友人と話をしていたら、いまどきの学生さんは料理レシピが読めない、という話になった。動画サイトを見ながら料理をしているので、文字で書かれたレシピでは料理が出来ないらしい。読解力と想像力、レシピで言えば経験値が必要なのだが、そういったものが不要、ということでもあるらしい。

ありがたいような、ありがたくないような気がする。

2021年4月13日火曜日

チェンジ

 久し振りにプリンターを買い換えた。1台は8年、もう1台は10年選手である。これまた久し振りに故障の少ない個体にあたったことで、思いのほか使い込んでしまった。1台は調子が悪くなったので修理をしたが改善しない、もう1台は故障したら修理対応不可なこともあって、時間のある内に入れ替えることにした。

数年前からこの手の周辺機器は分厚いマニュアルが同梱されなくなった。お約束のように「セットアップ用CD-R」などは入っているのだが、当方ここ10年ほどは「光学ドライブなし」なコンピュータなので、インターネット経由でドライバをダウンロードする。先代から変わったことは、「クイックマニュアル」が、QRコードだらけなことである。読み込むとメーカーのサイトかと思えば、動画配信サイトである。要は、動画を見ながら設定しろ、ということなのだろう。コンピュータに接続するプリンターのセッティングに、スマホ必須、と言うわけである。

2021年4月10日土曜日

作戦

消耗品扱い、というのは、政府の戦略ではないかとよく思うことがある。同居人は車好きである。お気に入りは17年オチ、数年前から税金が上がった。政府は古い車に重税を課すのである。

税金を払いたくないために、車を買い換える、という作戦を狙っているようにしか思えない。自動車産業に役立つ税金アイディアではある。戦中戦後派に育てられた世代としては「もったいない」という気分の方が先に来る。住宅や衣類もしかりなのだが、経済が回るためには「買いかえる」ことが大切なのだろう。わかってはいるのだが、もったいないことである。

2021年4月9日金曜日

消耗品

 そんな空き家が何軒かあった土地に、ここ半年ほどで建て替えの工事業者が入るようになった。コロナで景気が悪いのかと思っていたのだが、ステイホームにテレワークで、郊外に住宅需要があるらしい。そういえば、近所の畑やよく通る雑木林も建売住宅になって大売り出し中である。居住宅の方は、町内会の申し合わせで土地を細分化しない、というお約束があるらしい。あまり分割せずに、6−70坪ほどの土地に大きなカーポートをつけた一軒家が建てられている。ところかわって、元は畑だったところに並んでいる建売住宅の方は、2−40坪ほどの土地に目一杯家を入れて、カーポート1台、庭無し、あってもほんの少し、がここらのトレンドである。

上物を壊すのに数日、地ならしするのに数日、ああ更地になったなあと思うと、後いう間に家が建っている。早業である。

海外の知人に不動産売買をしている人が居た。古い中古住宅を買い、住みながらリフォームやリノベーションをして、きれいになったところで売ると言う。日本では建物の価値はあまりないので、解体して新築、というのが「コスト的にもスケジュール的にも良い」という風潮である。伊勢神宮も建て替えをする国なので、古い住宅には価値がない。そうやって建てられる建物は、受け継がれるものではなく、消耗品である。

2021年4月8日木曜日

空き家

 実家も同様だが、現在の居住地はいわゆる新興住宅地である。50年ほど前に宅地開発されたところで、ほどほどの一軒家が並んでいる。こういったところは、「代々住んでいる」のではなく、開発時に土地を購入して移り住んだ住人が多い。かれこれ50年前に核家族で引っ越してきたわけだ。子ども世代が私の年頃なので、当然のように大学や就職や結婚で家を離れる。実家に同居、と言う場合は、そのまま住むか、二世帯住宅に建て直すか、の選択になる。むろん、子どもが同居しないケースもあるので、かつては4人で住んでいた家に老夫婦2人が残ることになる。老夫婦も、元気なうちは良いのだが、次第に年をとる。どちらかが病気になったり、施設に入ったり、亡くなったり、すると、一人暮らしである。それが心許なくなると、子ども世帯の方へ引っ越したり、施設に入ったりしている様子が多い。そうなると、家は「空き家」になる。

こういった風情の空き家が、居住宅のまわりにも数軒ある。時折子ども世帯が様子を見に来たり、庭の手入れをする業者が入ったりしている。まったくのほったらかし、と言う状態ではないのだが、住み手のない家はなんとなく寂しげに見えるものである。