ちょいと昔は、大学と言えば「お馬鹿なところをやるところ」といった側面もあった。いろいろなサークルがあるが、私の学生時代には「ネコ部」というのがあった。ネコとは、実は関係なく、単に「何かにつけて飲む会」である。「サークル」として、組織をつくって届ければ、学校から年額数千円ほどの「活動費」が支給される。もちろん、飲み会の費用と化すだけだ。ブチョーも割り勘である。
まあともあれ、「お馬鹿なこと」も含めて、青春だったりするのだろうが、そこは大学なので「お馬鹿なこと」ばかりやっていると、単位が取れず留年することになる。単位は単位でそつなく取得した上で「お馬鹿なこと」をするのがスマート、だった。優等生は「お馬鹿なことをしない」ので、「スマート」ではないのである。卒業証明書に、成績はついてこない。単位取得したか否か、だけなので、優良可だったのか、単位取得に何年かかったのかは明記されなかった。
「手に職」に近いジャンルなので、「卒業」が人生のゴールではないし、「卒業」したからと言ってその後の人生が順風満帆とは言えないことは、卒業生を見れば、よーくわかる。「中退したら有名人」なケースも多い。卒業生全員が「プロの芸術家」として生きられるわけではない。不運だったり、報われなかったり、という人生も、先輩からはよく聞かされた。最終ゴールが「喫茶店のマスター」、というのが「よくあるハナシ」だった。
今や、大学から「留年させない」「脱落させない」「卒業させる」のが至上命令に近いので、お願いだから課題を提出してくれと学生に連絡するのは、講師と研究室のスタッフである。何だか違うよなあ、と思うのだが。
2020年8月9日日曜日
お願い
2020年8月8日土曜日
第2波?
またぞろ、感染者数が毎日のニュースでトップである。日々更新、などと、数だけ見ると「Go to な旅行へ行っている場合か」などと思ってしまう。後期授業も全面リモート、と決断した大学もあるようだが、ケニアの「今年度はなかったことにしよう。全学年留年だ」作戦の方が潔いとも感じてしまう。まあ、それはそれで、いろいろと後の作業は大変そう、ではある。「大学生活を返せ」という現役大学生のSNS発信が話題になった。授業ばかりではなく、青春ナ学生生活を返せ。ただし、彼らにとっての学生生活とは決して「授業してしっかり勉強する」ことばかりではなく、サークル活動課外活動楽しい放課後活動など、「授業以外」を大きく含んでいるような気がする。
まあ、翻って我々の頃は、もっと学生生活というのがゆるかった。「授業以外」に何をやるか、ということも含まれていた。今日の大学では「やらねばならないことリスト」がとてもたくさんあって、「ゆるい」どころか「がちがち」である。勤務校は、実技系の学校なのだが、最近の学生さんはサークル活動にあまり参加しない。そもそも「群れる」ことに慣れていない。サークル活動に参加して「群れる」ことに慣れるのだが、それすらしない。なぜか、と言えば、「課題が忙しい」のである。教える方もなぜか以前に比べると「ガチガチ」である。前年度秋頃に「シラバス」というのを作成する。授業の目的や到達目標、採点基準などを決め、授業日ごとの授業内容をリストにする。授業日程が終わると学生にアンケートが配られ、シラバスと授業進行について、齟齬がないか、変更なく進んだか、などと調査される。学生の顔を見て、学生の様子を見ながら、臨機応変に授業を進める「ゆるさ」は微塵もなく、シラバスと違うことはやりようがない。ある意味でシステマチックなのだろうが、これでは「パッケージ」である。