2024年4月23日火曜日

輪唱

 さて、3月下旬に無事手術も終了した。内視鏡による手術なので、外側には傷跡もなく、外見的には「手術したなー」という痕跡は見えない。痛い痛いと騒いでいるのが、どうやら病気みたいだという外的な特徴ではある。

病室は相部屋でベッドが4つ、同じ病態の患者が並んでいたようだ。手術は毎日1−2名ずつこなされているようで、昨日は隣、今日はここ、明日は向かいの患者が手術予定、というシフトだったらしい。そうなると、隣が術後の夜中に「いたいいたい」と大騒ぎをしているのを、しらけた気分で聞いた翌日、自分が大騒ぎすることになり、落ち着いた翌日は向かいの患者の叫び声を聞いて同情することになったようだ。1週間で、ちょっと回復が遅い患者も総じて入れ替わり、定期検診時にまた「こんにちは」と会う、というスケジュールになっているようだ。

術後2日目からは何となく復調し始めたようで、「お食事」のお写真が送られてくるようになった。相変わらず、食欲だけは失わない人である。

2024年4月1日月曜日

リバウンド

 幸い、かどうかわからないが、同居人は12月からは食欲がしばらくなくて、ほぼ毎食おかゆ生活。当然のように、酒を飲む気にもならないので、体重は順調に減少。2ヶ月ほどで一気に10キロ落ちとなった。

1月に入ってからは、食欲も戻ってきた。下半身の病気でもあり、胃袋から上は元気なので、手術に備えて栄養補給と、食べることにいそしむ。体重はすぐに5キロほどリバウンド。残りの5キロは、アルコール分だったのかもしれない。

手術に備えて、「自己採血」というのがあり、そのためにも「レバー推奨」なお食事となった。何かにつけて、プラセボ効果と暗示がよくきく人なので「マイブーム」になると高揚度が高い。レバー食べすぎの副作用がないか心配しなくていいのかしら。まあ、自己採血までの数週間だけで、あとはレバーなど食べなくなるのだろうが。

2024年3月31日日曜日

外付け

 同居人は、身体内部からチューブを出して、内蔵外付け、という風情である。外付けの膀胱を「ウロバッグ」と称するらしい。これがあれば、日常生活は大丈夫ですよ、などと言われて1週間ほど生活してみた。1週間後に、クリニックで「外しましょう」。晴れて解放されたものの、数時間後にはまた具合が悪くなり、クリニックに逆戻り。再び「外付け」状態である。結局抜本的な解決策として手術をすることになり、仕事の切れ目をにらんで、3月半ばに手術をスケジューリングした。

それが暮れもギリギリに押し迫った28日頃、当然のように年末年始のスケジュールは吹っ飛んだ。おせちどころではない。大晦日も元旦もおかゆだった。

外付け生活に慣れてきたのが1月半ば、その頃から手術に向けて各種検査や自己採血などのスケジュールが組まれ、病院行きが最優先である。

まあ、これをアップロードした時点で、無事手術は終了し、「外付け」生活は卒業したものの、手術後の体調は即座には戻らない。現在も体調には波があり、恐る恐る暮らしている、という感じだ。

2024年3月30日土曜日

救急

 そうこうしている間、昨年暮れに同居人の具合が急に悪くなった。明け方突然、苦しみだして「死んでしまいそうだ」と大騒ぎしている。近所の病院の緊急を探すが、通院記録がないと受け入れてもらえない。救急に連絡をしてみたものの、こちらも「到着するまで数時間、そのころには病院やクリニックの窓口が開くからそちらで」と、つれないお返事。その間にも、同居人はわめき続けているのだが、仕方なく数年前に通院したクリニックに連絡した。

当日処置後は落ち着いたものの、また午後に具合が悪くなった。午後はクリニックの定休なので、仕方なく近所の別の病院へ転げ込む。「痛い苦しい」と大騒ぎである。よほどうるさかったのか、診察順序を変えてみてもらうことに成功(?)。その日からしばらく「ウロバッグ」生活が始まった。

2024年3月29日金曜日

どきどき

介護サービスそのものは、利用者が高齢者ということもあり、アナログ感満載なサービスである。連絡は電話が中心だし、書類のやりとりも多く、ハンコをたくさん押した。現在お世話になっているケアマネージャーも施設も、メールでの連絡先の提示はない。

仕事中に電話がかかってきたら、「すわ、緊急事態か!?」と、ドキドキしながら、慌てて中座して対応する。内容はと言えば、「次回までに書類をご提出ください」くらいの事務連絡だったりする。

こちらの心臓には、すこぶるよろしくない。 

2024年3月28日木曜日

サービス

 同居人の父母の具合が悪くなったのは20年ほど前で、介護保険制度が始まる前後だった。二人とも相前後して病になったので、どちらかといえば「泊まり込み付き添い看護人」を探して、お世話になることから始まった。途中で制度が出来たり、変わったりなどして、看護人と家事手伝いの線引きが出来た。家事手伝いでも、作業の内容によって違う人が担当するようになった。看護人は数名でローテーションを組んでもらったが、家事手伝いはいろいろな人が来た。来てもらう人が変わるたびに、一応対応して、いろいろと覚えてもらわなくてはならない。義父母とも、病気ではあるが、アタマは元気なので、いわゆる「注文がやたら多い病人」である。相性が悪い人もいるわけで、「家事ヘルパー」の交代が多かった。

そんな頃と比べると、20年も経てば、ヘルパーの作業内容も整理され、また技術も向上している。とても便利に「介護サービス」を利用できるようになったなあと思う。

2024年3月27日水曜日

うかうか

 人生あっという間、という言い方があるが、うかうかしている間に更新の隙間が1年も空いてしまった。ぽちぽちと何らかのカタチで書いているものの、文字にしていると気が済むのか、更新までに至らず、などと言い訳めいたことを考えている。

間が開いてしまったのは、実家の方を見ている時間が増えたからだ。母の他界後、父が一人暮らしになった。最初のうちは、一人暮らし満喫、という風情だったのだが、やはり高齢なので、いつまでも同じようには暮らせない。そもそもが、昭和一桁世代、モーレツなサラリーマン世代でもあり、家事の一切をやった経験がない。体力も気力も記憶力も次第に落ちていく。何だか怪しいなあ、と妹と相談して、介護サービスを利用するようになったのが一昨年。これもまた次第に利用するサービスの種類や量も増えてきており、既に介護サービス無しでは生活は出来ない。サービスでお願いしていない掃除や洗濯、ゴミの片付けなどのために、週に1−2回ほど様子を見に行っている。往復だけで5時間。泊まりがけと言うほどの距離ではなし、仕事もあり、同居も考えにくい。この先どうするかなあ、と考えるようにはなった。